夜の訪問者、一匹の美しい立派なアブラゼミ。

田舎の家に夜の訪問者がやって来た。日もとっぷりと暮れた裏山の暗がりから、家の灯りを求めて一目散に飛んで来たのは、一匹の美しい立派なアブラゼミ。夏の終わりを告げに来た使者だ。

この辺りはミンミンゼミが多いが、いま時期はツクツクボウシの全盛期。ヒグラシは朝方と夕方15時半を過ぎる頃、涼しい時間帯に雰囲気のあるノスタルジックな鳴き声をカナカナと響かせる。


まだまだ厳しい残暑が続きそうだが、暦の上では立秋を過ぎて処暑を迎えた。それで、アブラゼミはもうそろそろ下火なのかな、とも思っていた。

夜の訪問者|夏の終わりを告げに来た使者

上へ上へと這い登っていく習性。何か無言で語りかけている様にも見える。

セミは上へ上へと這い登っていく習性があるようで、最初はカーテンなどに取り付いて這い登っていた。


明るい家の中へ入って安心しているのか、その動きはゆっくりと緩慢になってきた。


手のひらに乗せても逃げず、むしろゆったりとくつろいでいるようにさえ見える。ずっと暑かったから、随分と疲れて翅(はね)を休めに来たのだろう。傷ついた右翼は、彼が精一杯に生きた証しだ。


日中はジリジリと油で揚げ物をする時のような声で鳴くアブラゼミ。普通にどこでも見かけるが、不透明なセミの翅(はね)は世界的には珍しいようだ。

傷ついた右翼|セミの一生は7年と7日か?

傷ついた右翼は、彼が精一杯に生きた証しだ。

人間的な時間尺度から見ると、セミの一生はとても短い。昔から7年(幼虫)と7日(成虫)と言われているが、図鑑などで調べてみると成虫になってからは、2~3週間の寿命だそうだ。

木の幹に産み付けられた卵は冬を越し、次の年の梅雨時期に孵化して落ちる。幼虫になって土の中に潜ってから5~6年間、長い場合は10年間も過ごし、そうして成長した幼虫は、夏の夜に成虫へと羽化する。さなぎにならずに、幼虫からそのまま成虫に羽化することを不完全変態というそうだ。

セミの雄は飛ぶことと鳴くことだけに都合よく造られており、また雌も飛ぶことと卵を産むためだけに都合のよい身体に造られているため、もともと長生きするようには出来ていない。基本的にセミの役割は子孫を残して命を繋いでゆくことにのみそそがれているという。

余談だが、今から6、7年前に岡山県のとある高校生が2ヶ月間で850匹以上のセミを捕まえて、詳細なマーキング調査を行なった。結果は個体によるが、生存が確認できた寿命の日数は、アブラゼミで32日のものが見つかっている。

ハートからハートへ|命の最期の一閃

この臨在がセミの命の最期の一閃なのかも知れない。

私のシャツをよじ登り始めたアブラゼミは、右胸のあたりでピタリと止まったまま、動かなくなった。

まるでブローチみたいだが、静止したまま眠っているのか。いや、そうではなくセミはゆっくりと死に近づきつつあることに気づいた。


ハートからハートへ、この臨在がセミの命の最期の一閃なのかも知れない。

霊的な羽化|星空への帰還

静かにゆっくりと、命を終える準備に入ったアブラゼミ。

静かにゆっくりと、命を終える準備に入ったアブラゼミは、2回目の羽化へと向かっているように見えた。


つまり、霊的な羽化だ。物質の身体を放棄して次の意識状態へと移行しつつある。私の右胸をヒモロギに見立てて、無限の大海へと帰還しようとしているのだ。


ああ、もうお別れだ、さようなら。

最期に会いに来てくれて、ありがとう。


そう感謝しながら目を閉じると、深い沈黙と至福が、波紋のように拡がっていった。


。。。。。。。


しばらくののち、


私はアブラゼミの身体を、真っ暗闇の裏山の、栗の木の袂に帰した。


山からは、すーっと冷涼な秋の空気が舞い降りてきて、その場を浄めた。

物音ひとつしない静かな田舎の夜更けに、空を見上げると、

いつものように、満天の星が輝いていた。


身近な自然から気づいた事

アブラゼミの一生

不透明なアブラゼミの翅(はね)は世界的には珍しいそうだ。基本的にセミの役割は子孫を残して命を繋いでゆくことにのみそそがれている。

ハートからハートへ、この臨在がセミの命の最期の一閃なのかも知れない。

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