『太陽の塔』の前で記念撮影する人々。

年が明けて、久しぶりに広い場所に出掛けたくなり、大阪吹田市の万博記念公園を散策した。早春の空は晴れて、とても気持ちのよい一日となった。


すぐ傍に、エキスポシティという新しい大型商業施設ができており、大勢の人々で賑わっていた。万博記念公園にも、たくさん人が出て散歩を楽しんでいた。

公園の正面玄関口にそびえる『太陽の塔』は全くもって素晴らしい造形作品だ。制作されてから、50年以上も経過しているとは思えない美しいフォルムと、その大きさにいつも圧倒されてしまう。まるで、生命エネルギーを放射するアンテナみたいだ。


そして、よく奇跡的に残してくれたと思う。当初は万国博覧会終了と同時に解体される予定だったそうだ。ここに来て『太陽の塔』を見るたびに、いつも今日も来て良かったと思う。

今を生きることそのものが芸術

50年前の造形作品とは思えない美しいフォルム。

とても風変わりなアーティスト、岡本太郎が生み出した巨大なモニュメント『太陽の塔』の存在は、後生の私たちに、生きる勇気と不思議なインスピレーションを与えてくれる。

生命そのものと、生きることそれ自体に、こんなにも真摯に向き合った芸術家は稀だろう。その姿勢そのものが、語られた言葉や作品を通して、今もエネルギーを放ち続けている。


彼の鮮烈なメッセージは私たちに問いかける。その作品を見て「君は燃えたか!」と。


岡本太郎は、根っからの芸術家だった。

芸術とは、日常を惰性的に過ごしている人々に魂をゆさぶるほどの衝撃を与え、
自分の生き方を見直して、本当の人生を生き直すエネルギーを注ぎ込むものだ。


絵画や彫刻にとどまらず、多様なジャンルの作品を手がけたが、生涯最大にして最高の傑作は「岡本太郎」だった。どんな作品よりも、強烈なメッセージを発した。


はるか遠くに輝く星のように、同時代に生きた人々にだけでなく、消滅してもなお光を送り続けている。


引用元 : 岡本太郎の遊ぶ心 | 岡本敏子 著


『太陽の塔』は制作から48年を経過して、耐震工事や内部構造の復元工程を終え、完全に蘇生した。


現代日本の最先端技術と岡本太郎の芸術が融合したのだ。この時代に居合わせることが出来て本当に幸せだ。


2022/03/14 リバース太陽の塔再生|大林組公式チャンネル

芸術は爆発だ! 岡本太郎からのメッセージ

[Projection Mapping] イルミナイト万博 X'mas 2015 / BeamPainting 鍵‐Key‐ | 人に好かれないこと理解されないこと、ということは自分自身も好きではない、自分自身も理解できないほど、普通の基準とは、まるで違ったものを作ることに情熱を感じるわけです。つまり芸術っていうものは、理解を超えた上に逆に人に迫ってくるものを持っているのが芸術であると。 | 1975年製作:太陽の塔・秘蔵フィルムより

私は、幼い頃、よくここへ来たいと母親にせがんだそうだ。


子供なりに、目には見えない不思議なインスピレーション芸術のエッセンスを感じていたのだろうか。それとも、シャーマニズム精霊スピリットの雰囲気を受け取っていたのか。


いやいや、とにかくだだっ広くて心地良い場所だったから、未知の世界への憧憬を思い切り開いて、開いて、自らの感性を開いて、開いて、



胸を躍らせながら、遊んでいたに違いない。

岡本太郎は子どもの絵が好きだった。

自由にのびのびと描けばいい、子どもはみんな天才なんだ、それが太郎の信念だった。

成長するにつれ、他人の絵と比較して、恥ずかしいと描かなくなってしまう。

子どもに絵を教わり、自由に描くことを学ぶべきだと提唱した。それはまた太郎自身が絵を描くときの基本的な姿勢でもあった。

引用元 : 岡本太郎の遊ぶ心 | 岡本敏子 著

岡本太郎 芸術と人生

金色の雲と清々しい空の下、夕闇が迫ってきた。

さあ、そろそろ帰ろうか。

ありがとう、今日も会えて嬉しかった。


昭和45年5月23日 妹を身ごもる母と私。Expo'70にて。


身近な自然から気づいた事

太陽の塔|幼い頃の憧憬

太陽の塔は素晴らしい造形作品だ。

幼い頃、よくここへ来たいと母親にせがんだそうだ。

ありがとう、今日も会えて良かった

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